~外食図鑑~ 多くの人々からの期待を浴びオープンしたフレンチレストラン その味を一手に担う、注目の若手シェフ・大森雄哉氏の足跡
GZ 外食図鑑 2020 SPRING VOLUME05で弊社の紹介をして頂きました。
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レストラン TOYO Tokyo シェフ
大森雄哉
九州の星付き洋食店で、フレンチの匠に師事。一流のシェフとしての心構えやスタイルを学び、そして本場・フランスへ。日本人シェフが立ち上げた和洋折衷のレストランで修業を積んだ後、東京のど真ん中・日比谷にオープンしたRestaurant TOYO Tokyoでシェフとなった大森氏。「星も狙える」と周囲の期待は高いが、それは大森シェフが目指しているゴ–ルではない。
PROFILE
1983年生まれ、熊本県出身。2004年辻調理技術専門学校卒業。同年、(株)ハウステンボスホテルズ入社。アランシャペル氏の弟子の上柿元勝氏に師事。2008年大阪フランス料理エプバンタイユ入社。同年、熊本・洋食店 橋本入社。店主の哲学を学ぶ。2010年渡仏、Restaurant TOYOで中山豊光氏に師事。その後帰国。2015年TOYOプロジェクト参画。2017年3月再渡仏 Restaurant TOYOにて中山豊光氏に師事。2018年3月Restaurant TOYO Tokyo(東京ミッドタウン日比谷)シェフに就任。
フランスでも指折りの名店が満を持して日本に逆輸入
フランス・パリ6区の名店『Restaurant TOYO』。和食とフレンチを融合させた、唯一無二の料理を求め、フランスのみならず世界中のフーディーたちが集まるレストランだ。この店を立ち上げたのは、長年フランスで修業をし、そして世界的なファッションデザイナー髙田賢三氏に見初められてその専属シェフを6年間務めた日本人、中山豊光氏である。
そして、このRestaurant TOYOが初めて『Restaurant TOYO Tokyo』(以下レストラン トヨ トーキョー )として、東京に出店することになったのは、2018年のこと。いわば、フランスからの逆輸入という形だ。
このお店のシェフとして抜擢されたのが、パリのTOYOで修業を重ね、“若手シェフの最注目株”とされる、大森雄哉氏である。36歳という年齢は、フレンチの世界においてはまだまだ若手とされる年齢だ。
2019年冬に放映されたTBSの人気ドラマ『グランメゾン東京』。世界的な評価の基準である、ミシュランでの3つ星獲得を狙うフレンチ料理シェフの活躍を描いたこのドラマで、木村拓哉演じる主人公・尾花夏樹のエピソードは、偶然なのか大森シェフの足跡と共通のシーンが数多く登場する。ちなみに、レストラン トヨ トーキョーは、このドラマの監修を務めているのだ。
よい食材と最高の腕を持った料理人の元で育ったサラブレッド
大森氏は九州・熊本の出身。サラリーマンの父親と、料理上手な母親の元に生まれた。
専業主婦をしていた母親は、近所のお母さんたちを対象に自宅で料理教室を開いていたというから、その腕は並の主婦レベルでないことが分かる。そしてまた、大森氏の親戚一同はみな、代々続く農家であった。いわば、食材のプロである。鮮度もよく質の良い食材と、腕の良い料理人に囲まれて育ったという点で、大森氏はまさしくサラブレッドと言っていいだろう。
「母親が料理上手でしたから、自分もおいしいものを作りたいと思いました」
そう語る大森氏が、中学の卒業アルバムに「料理人になりたい」と書いたというのもうなずける。幼い頃からスイミングスクールに通い、中学ではサッカー、高校はテニスに打ち込んだ、スポーツ少年でもあった。
高校には行かず、すぐに仕事に就きたかったが、両親の説得によって高校に進学。卒業後は、大阪・中之島の辻調理師専門学校へと進んだ。
ここで料理の基礎的な知識や技術を学び、卒業後は九州を代表する観光地でありイルミネーションでも有名な『長崎ハウステンボス』に就職。施設内にあるホテルのレストランで、アランシャペル氏の弟子の上柿元勝氏に師事。プロとしての第一歩を踏み出したのだった。
九州の星付き洋食店で学んだフレンチシェフとしての哲学
やがて結婚し、子どもが産まれたことをきっかけに、地元・熊本に戻って入店したのが、全国からファンが訪れるミシュラン一つ星の熊本の名店、『洋食の店 橋本』だ。オーナー橋本民雄シェフが作り出すのは、東京やスイス、ドイツでの経験をベースにした本格的な欧風料理でありながら、自らの故郷である・熊本の四季折々、旬の食材を取り込んだメニューの数々。
「中でもカレーが有名で、カレー屋さんみたいに思われている方もいますが、もともとのベースはフランス料理なんです」
この名店で、大森氏は橋本シェフのもと、さらなる修業を重ねることとなる。
その日の食材はその日に仕入れるのが、今なお市場に通い続ける橋本シェフのやり方だ。そして大森氏はここで、お客様の年齢や性別、季節によって味付けを変えるという手法も学んだ。年配の方にはポーションを小さく、体調がすぐれない方には、油分や塩味を控えるなど、同じメニューであっても微妙に味付けや量を変化させるという繊細さ。その姿勢は、
「料理をする上で大切にしている事は、食材とお客さまへの想いです」 と語る、今現在の大森氏の根幹となっている。
フランス料理の本場・パリでさらなる経験を積み上げる
お客様の年齢や性別、体調、季節によって 味付けや量を変化させて提供する繊細さ
その橋本シェフの紹介で、大森氏はフランス・パリへと渡ることとなる。冒頭に紹介した中山シェフがフランスでRestaurant TOYOを、立ち上げるにあたり、スタッフが足りないと橋本シェフに相談したことがきっかけだ。
「研修の感覚で、開業の時だけ」のつもりであったが、結局そのままフランスに3カ月間いる事になった。
その後、トーキョーの開業の直前1年間、再度パリにわたって開業に挑んだ。
「食材の組み合わせに関して言えば、橋本はどちらかと言えばメインの食材を前面に出す感じですが、TOYOでは素材の組み合わせ方や使い方など習いました」
初めて海外で働くこととなったフランスでの日々を、「全てが衝撃だった」と語る大森氏。そしてこの美食の町で、数多くのことを学んだ。
「ピスタチオオイルやシェリービネガーなど、日本ではあまり使われない調味料や油もたくさんの種類があるので、そういうものを近くに感じることで、色々なことができるになりました」
またそれだけでなく、料理の盛り付け方や、お皿の空間のバランスなど、高度なレベルでの知識や技術を、大森氏は体得したのだった。
やがて、中山シェフは自らのお店を日本にも出したいと思うようになり、2015年『TOYOプロジェクト』を立ち上げる。その、日本店のメインシェフとして白羽の矢が立てられたのが、大森氏であった。これについて大森氏は
「話を聞いた時にはもう、プレッシャーとやる気で頭の中はぐちゃぐちゃでした」
と笑う。かくしてフランスで大きな話題をさらい、押しも押されもせぬ人気店となったRestaurant TOYOは、2018年、日本でオープンしたのだった。
想像を絶する期待と注目の中、大森氏が目指しているもの
レストラン トヨ トーキョーがその看板を掲げたのは『東京ミッドタウン日比谷』。ショッピング、食事、映画など様々な店舗が集まった巨大な複合施設であり、レストランのカテゴリーにおいては、和洋中からバー、カフェまで、国内外から選ばれた一流店ばかりが軒を連ねた、東京の一等地だ。
「あのTOYOが日本に来る」と、オープン前から大きな話題となり、開店と同時に入った予約は、なんと600組。席数20の店に対して、この数字である。半年以上先まで予約で埋まってしまったというから、TOYOの名がいかに知れ渡っているか、またどれほどの期待が寄せられているのかが分かる。
まずやってきたのは、食に対しての目が肥えた、いわゆる「フーディー」と呼ばれる人々であった。日本はもちろん世界中の美食・名店を知り尽くし、もちろん現地のTOYOの味も知っている、目も舌も肥えた食通たちだ。
彼らの、大森シェフに対する評価はおおむね好評であったが、決してそればかりではなかった。中には辛辣な評価を下すフーディーなどの方々もいたが、そうした言葉に対し、大森シェフはお客様の声を逃げずに、真正面から受け止めた。 そして今、熱心に取り組むべきは、周囲から高い評価を得ることでも、自分自身のスキルアップを図ることでもないと心に決めているからだ。
それは、レストラン トヨ トーキョーという、一つの「チーム」全体の底上げをすることである。 「もっともっと料理のクオリティをあげていくために、足元を固めると言いますか。そのためには例えば、食材の情報の共有もしています。この魚はこういうとところがいいっていう見極め方などですね。本に書いていることはあくまで素人レベルでの話ですので、もっと落とし込んだところでの見極め…エサはこういうものを食べているからこういう肉質になるとか、そういう知識も共有するようにしています」
豊洲市場の仲買人との魚談義がシェフ・大森氏の毎朝の日課
「日々の仕入れは、要中の要」。豊洲の仲買人たちと毎朝の魚談義
レストラン トヨ トーキョーが店を構える日比谷から、目と鼻の先にあるのが東京の台所・豊洲市場だ。大森氏は必ず、毎日豊洲市場に行き、その日に使う食材をその日に仕入れ、仕込みをする。大森氏の師匠である、橋本シェフから受け継いだスタイルだ。
この流れはお客様にとって最善であるだけでなく、TOYOで働くすべてのシェフにとっても、良い食材に触れることのできる最適のルーティーンとなっている。鮮度を重視する料理とは別に、加工したり寝かせて旨味を出す工程やプロセスを考えたり、四季によって変化をつけたりと、日々切磋琢磨しながら、チーム全体で、お客様に喜ばれる料理を考えているのだ。
「当初の計画から、東京の店舗が市場に近い事もあり、市場に行って仕入れをしようと考えていました。 パリからの出店ということで取引先もなかったので、まずは市場に通う事から始めて、仲卸の方々と話したり、ご紹介いただいたりして、今ではマグロ、白身魚の仕入れそれぞれの食材に強い仲卸と取引をしております」
仲買人たちとの毎朝の魚談義が、このように語る大森氏の日課だ。毎日顔を見せることで、市場の仲買人たちも大森氏の好みを覚え、良好な関係が作られているのである。
「魚も個々で体質が異なり、私の好みとしては、魚種にもよりますが、アスリート系の筋肉質な魚体を使います。その日の気候やお客様のご希望など、あらゆる視点から最良の美味しさを届けたい、そのためには日々の仕入れは要中の要。誰にも任せることなく、自分の足と目で行うのが最善最短の方法です」
アスリートと言えば、真の一流シェフになるためには、一瞬の判断力や限界を超えようとする勇気など、優れたアスリートのような素質が必要であると大森氏は語る。
「努力によって素晴らしい料理人になることはできますが、それこそ、ミシュランで星を取るようなずば抜けたシェフになるためには、練習だけでは身につけられない素質が求められると思います」
高校には行ってからテニスを始め、ベスト8の成績を収めるまでの目覚ましい成長を遂げた過去を持つ大森氏。その運動神経は、まさしく選ばれたアスリートのみが持つものと言っていいかもしれない。
ドラマ『グランメゾン東京』の中で、3つ星を獲得した早見シェフは、店の仲間たちから次のことを教わったと言った。
「情熱をもって向き合うこと、最後まで逃げないこと、お客様を一番に考えること。そして、自分を信じること」
超一流の料理人として欠かすことのできないこれらの要素を持ち合わせ、実在する店舗として形となったのが、レストラン トヨ トーキョーと言ってもいい。
国内フレンチ界における若手シェフの第一人者のひとり、大森氏のさらなる活躍に、各方面、多くの人々からの熱い視線が注がれている。
Restaurant TOYO Tokyo